膿と罪悪感

穴掘って叫びたいこと

小鳥を食べない理由が「かわいそうだから」と言うのはおかしい

Twitterに書いたんだ。

コンビニ人間のまだ前半しか読んでないんだけど、自分と同じことを感じてる主人公に出会えてドキドキしてる

 

主人公が小さい時死んでる小鳥を食べようと母や公園にいる友達親子に言う。ギョッとされる。小鳥はかわいそうだから埋めてあげようとみんなはいう。なんで?焼き鳥や唐揚げ好きでしょ?

 

小鳥はかわいそうなのに、その小鳥のお墓のために草や花は容赦なくもぎ取られる。それはかわいそうではないのか?


まさに私もこれを感じる。


大人だから小鳥は食べなくて鶏肉は食べるのは今は理解できる。

 

でも小鳥を食べない理由が「かわいそうだから」と言うのはおかしい。

 

私なら
「この小鳥は食べらるものなのかお母さんにはわからないから食べない」と私なら子供に説明する

 

同じことをベジタリアン(食べない理由がかわいそうだからの人に限るけど)
にも感じる。肉や魚はダメなのに豆や植物はなぜいいの?
どちらも生きているのではないの?

親の金で進学した私が見た教育格差

私が鬱病から少し復活し、初めてフルタイムアルバイトをした時

親の裕福度で道が分かれる瞬間を見た

 

親の脛をかじっていた私は言いようのない罪悪感を感じたのも覚えている

 

登場人物は二人だ

私は当時25歳で、その登場人物二人もバイト仲間でいわゆるフリーター

 

その二人は、同じ夢を持っていた

 

一人は奨学金をかき集めて美大に入学したが、お金がなくて中退

 

一人は、進学せずにフリーターをしていた

 

そしてアルバイトをしながら

絵を描くことを夢見ていた

 

 

進学しなかった一人は親の協力の元、学資保険を組んで、美術の専門学校へ行き、その後夢を叶えた

 

美大にまで行ったけどお金がなかった子は

学資保険を組むこともできずに、そのまま外食産業へ就職した

 

 

そして親のお金で進学し、退学し、親のお金で家に住み、親のお金で食事をしていた私は

 

結局どこにも就職せずにフラフラと生きていた

 

 

私は一番恵まれていて、一番選択肢があって、一番夢を叶えられる可能性があったのである

 

言いたいことも、オチもないのである

 

ノシ

 

 

 

誰かの二番目でいることから卒業した日

今週のお題「〇〇からの卒業」

 

私は誰かの二番目でいるのが心地いいなとずっと思っていた

ぼかして言わなければ、恋愛においての話である

 

これを恋愛というのかはわからないけど、

誰かの一番でいる事は、責任がのしかかる気がして落ち着かなかった

 

例えば、私がずっと想いを寄せていた相手は4歳頃からの幼馴染なわけだけど

 

恋だの愛だのと盛り上がる思春期には、その人は必ず他の誰かと付き合っていた

 

私がお膳立てをするのだ

それも喜んで

 

誰かと付き合っている間はどこにも行かないと言う安心感があった

 

だけど、奴が別れるとたちまち不安になる

どこか遠くに行ってしまう気がするのだ

だからといって私が引き留める理由もなければ勇気もないわけだ

 

私はとてもズルくて

奴と付き合っている「彼女」より、私の方が気心知れている優越感に浸りたかっただけなのかも知れない

 

そして、彼がたちまちこちらを向くと、私急いで逃げるのだ

 

だけど、ある日

彼は私を遊びに誘った

 

彼と私は仲は良かったが、世間がいう「特別な日」に「二人だけで」会ったことはない

 

その日は、高校を卒業する年のクリスマスだった

 

なんでいきなり誘われたのか私は若干パニックになりながら

怖くなって断った

 

クリスマスといえば恋人の日

そんな日にやっと二人で会うなんてまっぴらだ

だって何を着ていけばいいのだ?

 

 

 

そこから私の二番目人生は変わってきたと思う

 

 

だけど、彼は私と会うことを諦めなかった

 

自惚れだと思うけどそう表現する

 

 

こんなことしてもなんの意味もないけど、なんでもない日、に、改めて会う約束をした

 

 

すると、彼は驚くことを言うではないか

 

「おまえ、高校卒業したらどうするの?」

「大学行くよ」

 

私は特に目的もなく親のお金で大学に行くことになっていた

そして、大学に行くこと自体、誰も疑問に思わないと思っていた

だけど、彼は私にこう、聞き返したのだ

 

「お前、大学本当に行きたいの?そこで何かしたいの?その大学じゃなきゃダメなの?」

私は実は大学に行きたくなかった。ただ行くしか道がわからなくて流されていただけだっただから、ぎくりとしたけど、でも別にやっぱり大学に行くのが「普通」だと思っていた

 

だから

 

「ん?なんで?」

 

すると彼はいきなりこう言ったのだ

 

 

「お前、〇〇(彼の親友で私も友達)と付き合わないか?」

「え?なんで?」

「俺、就職して、社宅に入って他県に行くから」

 

 

私は急に怖くなって、よく覚えてないけど話を変えたと思う

 

 

私が怖かったのは、彼の親友を紹介されたショックでも、彼が遠くに行ってしまう事実でもなかった

 

 

彼が私を女としてみているとわかった事だった

 

彼は、私が大学に行かなければ、彼の就職先の近くに来られないかまで考えていた

もちろん、そんな強引な男じゃないだけど、そう考えたのだ。

 

だから、大学に行く理由を聞いてきた

 

そして、それが叶わないなら、親友と付き合わせて目の届く「庭」に、置いておこうとしたのだ

 

そう、今まで私がしてきたようにだ

 

 

彼が自分と同じ思考回路だった事にもショックだったし(今考えれば最悪な二人だな若かったのか?)

 

彼が私を「女」として見ていた事にたまらなく恐怖を感じた

 

うまく言えないけど、私は彼の親友でいたかった。空気のように当たり前の存在でいたかった

。生物学的吸引力みたいなチャチなものに邪魔されたくなかった。

 

だけど、いなくなれば息ができなくなるそんな存在

 

まったくもって中二病な訳だけど、この感覚は大人になった今でもここにある

 

 

そう、私たちはお互いプラトニックに歪んだまま一緒にいてしまったのだ

 

そして、これは、30歳近くになってお互い別の人と結婚するまで歪んだままだった

 

 

その当時、彼が私を女としてみ始めたと感じた時私は今までの全てが壊れてしまう気がして

 

とても怖くなった

 

 

このまま、彼の一番になってしまったら

いつか二番に降格する日が来る

 

降格どころか、一番に一度なってしまったものは

失敗すればもう2度と、眼中にも入らなくなるだろうと知っていた

 

 

恋愛に失敗は許されないと思っていた

もう、この生ぬるい関係には一生戻れないと知っていた

 

 

だから、私は、その時、彼の全然知らない男性と付き合う事にした

 

 

なかなか意味不明な行動だけど、そうすれば、この関係は変わらずずっと続くと思っていた

 

 

そして、事もあろうに、付き合い始めた人には、私よりもっと愛していた元カノがいたのだ

 

それが私が付き合った理由だった

 

 

いつかこの膿を吐き出したいと思っていた

 

まだ話は序盤だけど、ここでやめよう

続くかも知れないし続かないかも知れないです。

結局卒業できた日まで書けなかったな

 

 

関連記事

https://unasu.hatenablog.com/entry/2021/02/21/002122

 

 

娘氏 バァバは私の食べたい物なんでも作ってくれたのに

 

私の母は思えば、食べたいものをなんでも作ってくれた

私は中学生まで小食で、一日一食食べればいい方だったから、というのもあるだろうが、言えばその都度、作ってくれた

だけど、私はどうだろう。

私は料理が嫌いだ

今は偏食3歳児がいるが、偏食をいいことに、出来れば食べないでくれたらいいのにと思うほどに、嫌いだ

だから、どうせ作っても食べないだろうという考えが先に出てきて、作らないで済む理由をいつも探していた

その悩みは今は宅食(献立と食材を届けてくれるヨシケイ)を頼ったことで少しは解決しているけれど、偏食で小食なわが娘を前にしても、食べたい物をなんでも作ってあげようとは思えない

ヨシケイの献立を食べないで、「○○が食べたい」と言われたら、いやだ。私の今日のノルマ(夕飯づくり)はもう終わったのだ。

これを食べないなら食事はもうないのである

これは、別に悪い事じゃないと思うんだけど、でも、食べたい物を作ってくれた母のもとで育った私は、どう育っただろうか?

自分でいうのもなんだが、こだわりや融通が利かないところはあるけど、人に迷惑をかけるほどのわがままに育ったわけではない(と思いたい)

今日、オイシックスの献立は、肉じゃがだった。肉じゃがの豚肉は固くなりがちなので、うちの子はいまだに噛み切れないから食べなかった

しかし、昨日の揚げ出し豆腐は、ひっさいぶりに炭水化物以外の物を食べた。オイシックスの出来合いの揚げ出し豆腐だ

今日の夕飯の時、子供は「昨日食べたお豆腐が食べたい」といった

ここで、私の母なら、冷蔵庫から常備している豆腐を出してせっせと作るだろう

しかし、私は、作らない

そもそも豆腐がない。だけど、母は、。というか父が急に無理難題を命令する人なので、母はそれに対応できるようにあらゆる策を講じている

だから当然、豆腐くらい常備しているのである

でもうちにはない

それはいいのだ。うちはそういう家庭なのである

でも、いつか子供は言うだろう

「ばぁばは私の食べたい物をなんでも作ってくれる」と。

口に出さなくても、そう思う日が来るだろう。

だって、母(ばぁば)は一階に住んでいるんだもの

今だって、言えば何でも出してくれる

そして、ここだけ見れば、それは「ばぁば」の特権(甘やかし役割)でもあるが

ここで、また私は思うわけだ

「母は私にも何でも作ってくれた」と

そして、たぶん、これが料理コンプレックスの一因だろうなと。

以上っ

この日記に思い当たることがあればこちらの記事も読んでみて、やってみてください
https://nige.suppinblog.com/q35

料理嫌いをカウンセリングするための35の質問に答えてみた

万引きをした自分の子供を信じられますか?

その1はこちら

 

unasu.hatenablog.com

 

 

私が万引きをやめた日

それは小学生の頃だったと思う

 

なんだ子供の時の話か

 

とつまらなく感じるかもしれないが聞いてほしい

 

 

私が万引きをやめた理由は

親が私を信じたからだと思う

 

うまく言葉にできないが

あそこで疑われ怒られていたら

私はどうしただろうか

 

 

あの日の風景を未だに覚えている

もう見ることのない、全てが大きくて広い世界だ

 

お金を払ったのかと聞かれている時

私はまだ扉のドアノブ程度の身長だった

私の右肩の上には家の赤い郵便ポスト

母の顔は見ることができずに

視線をずらし

しゃがみ込んだ母の肩と頬のほんの5cm程度の隙間から隣の家の駐車場をぼんやりと眺めていた

 

まだ背の低い私には

隣の家の駐車場がその時の世界の全てだった

 

 

 

そして、大人になって思う

 

私が親と同じ立場に立ったら

同じように無条件で子供の言い分を信じることはできるだろうか?

 

あの日、母はなぜ私を信じたのだろうか?

それよりも

あの日、母はなぜ私を信じられたのだろうか?

 

 

 

万引きは大きな出来事だけど

例えば、誰かと喧嘩した

誰かを叩いた

 

そういうことはこれから沢山起こるはず

 

 

私はあの万引きの経験から

子供の主張はひとまず信じようと心がけてきた

 

 

 

だけど、たった小さな公園での出来事でさえ

「あれ?うちの子何かした?」と

声に出して聞いてしまうことが多い

 

 

例えば公園で

 

少し目を離してる間に

遊んでいた子が泣いている

近くにはその子のお母さんもいて

何やら話している

 

 

こんな事、日常茶飯事で取るに足らない出来事だけれども

 

それでも、うちの子何かした?と思う

それは当然の社会だけれど

だけど私は頭ごなしに子供を疑いたくはない

 

なのに、これである

 

 

 

到底、万引きをした子供を無条件で信用(信じたふり)なんて、私にはできないだろうなと思う

 

 

あの日、きっと母は、あの後お店の人にお金を払ったに違いない

問題はそこではないのだ

 

 

 

私はあそこでやめていたけれど

やめない時はどうしたのだろうか

 

 

 

やはりそのうち問い詰める必要があったのかもしれない

だけどあの頃の私に

叱ること、は果たして効果があったのだろうか

 

 

そんなことをずっと考えている