膿と罪悪感

穴掘って叫びたいこと(元すっぴんぶろぐ)

全ての長子に尊敬を!上の子って大変だなって感じた話

こんばんにちは、3児の親であり、自称汚部屋ミニマリストのビーチサンダル吉永です。

末っ子が3歳で、小さいな~このままでいてくれないかな~って日々思ってるのですが、ふと、一番上の子が3歳の時は、真ん中の息子0歳に絵本読んであげてたな~って思い出して、

いや~~~上の子って大変だな~!!!わかっていたけど。

3歳でもうお姉ちゃんだったんだな~と。

後この前、下二人の寝かしつけ中、3歳がリビングにぬいぐるみを置いてきてしまったことに気が付いて、取りに行くか迷っていたところ、私は寝たふりをして、どうするのかな~?と観察していたら、真ん中の子に一緒に行くのを断られて一人で行くことに決めた3歳

一人で寝室からでて隣の部屋へ

すると、真ん中の息子が、「ああ~もう!」という感じで様子を見に行ってくれて

真ん中の息子は普段お兄ちゃんぽさは目立たなし、上の娘に比べて面倒見もよくない印象なんだけど

そんな性格でも、強制的にお兄ちゃんの自覚みたいなのが植え付けられるんだな~っておもって

上の子って大変だな~笑

 

うちは一番上の娘の「いつもおねえちゃんありがとう」いたわりみたいなのは気を付けていたんだけど(そこまでじゃないけど、ありがとねと言葉で伝えたりくらい)

真ん中の息子にも「おにいちゃんありがとう」はやらないとな~と感じました

真ん中の子って下には強く当たられ、上からは理不尽なルールを押し付けられてるので、それはそれで大変だなとは感じていたんだけど、言葉も乱暴で下の子にも軽い暴力をつかったりするから、一番上より「ほめる」「感謝する」みたいなことをしてこなかったな~と。真ん中だからどうっていうケアは思い浮かばなかったけど、「おにいちゃんありがとう」戦法で行こうかな?という戒め日記でした

ここまでお読みいただきありがとうございます!

 

保存食の柔らかいパン「生命のパン」食べてみた!2種類はおいしいけど1種類はダメだった話

プチヴェールが食べられない程まずかった

保存食のソフトパン生命のパン味のレビュー

保存食のソフトパン生命のパン

災害用に備蓄していた保存食をローテーションするために食べてるんだけど、その中でもふんわり?というか乾パンみたいなのじゃなくて普通のパンのように食べられるのが売りのパンを食べてみました!

 

その「生命のパン」で、おいしかったのはココア味と黒豆味!

逆に、うーーーんこれは…と個人的においしくなかった(残した)のはプチヴェール味

(プチヴェールってなんだろう)

ちなみに、プチヴェールは夫はおいしかったそうです。

もったいないと残り物やら賞味期限切れやらなんでも食べる祖母も「おいしくなかった」そうです。

9歳、6歳、3歳は全滅でした(プチヴェール)。

ココアと黒豆はおいしくて、9歳はココアは普通におやつとかにも食べたいといってくるくらい好きみたい。

私は黒豆が一番好き。一番害のない、プレーンな味に感じた。

プチヴェールは、缶を開けた瞬間からなんか腐ったチーズ?みたいな臭いがして、味もそうでした。腐らせて食べるチーズがあるからこの感想はなんとも微妙ではありますが。

私自身チーズは食べます。大好物!ってわけじゃないけど。

まとめると

おいしかった生命のパン

  • ココア
  • 黒豆

おいしくなかった生命のパン

  • プチヴェール

 

生命のパンとは?

 

  • 長期保存にこだわったソフトなパン
  • 災害備蓄保存用パン
  • 5年保存
  • 1缶に二個入りで、マフィンみたいな形でマフィンみたいな紙の入れ物に入ってます
  • 缶きりは不要です!

缶をあけるのは9歳では硬かったですが、うちの9歳はちょっと発達グレーで発達が遅め?適応能力が低いので開けられなかっただけかも。大人なら簡単に開けられます

味は5種類あって、うちが試していないのは(購入してました後で食べます)

「オレンジ」

「ホワイトチョコ&ストロベリー」

うちが試した

「ココア」

「黒豆」

「プチヴェール」

と合わせての全部で5種類

5種類の味を缶ずつ試せるセットがあるので、味が心配(とくに子供は我慢して食べるとかしないので)という方はこれがいいかも↓

≫災害用ソフトパン「生命のパン」5種の味セット(Amazonへ)

 

うちはこれを用意した時は一番上が3歳ごろだったので、子供に試食をさせるという発想がなくて、ぶっつけ本番で食べるだろうと楽観してましたが

いざあけてみると災害時じゃないことも関係してると思うけど

うちのわがままキッズだちは全然食べてくれなくて、今頭を抱えています

他にも災害時用のおかゆとか、用意してあって、みんなで食べてみてるんだけど当たり外れが大きくて、これ災害時だったらどうすんの?!?!?食べないのあんた達!?!?キャンプにもっていきたくても食べないかも…で持っていけない程w

ってなってるので、やはり準備段階で試食は大事だな(とくに子供)と痛感してます

とはいえ、普通の食事より高いのでね…お財布と精神的安心とを天秤にかけることになりますがw

あと、この生命のパンを選んだ理由は、こだわり性の夫が毎日毎日ネットの海をさまようい血眼になって比較した結果これになったそうですw

やぱりね。災害の時の食事ってメンタル回復に大事なので、なるべくおいしいものがいいなと今では感じてます。

(当時私はカンパンでええやん派だったけど、まぁ子供たちみてるとなるべく口に合うものそろえた方がええなとは感じてます)

 

 

私が急死したらその時このブログはどうなるのか?ワードプレスからはてなブログ無料版に引っ越してきた理由

お題「もっと早くやっておけばよかったと思う事」

もっとはやくはっておけばよかったと思うことは、

ワードプレス(実質有料)から無料ブログへの引っ越しです。

 

はじめまして、汚部屋ミニマリストのビーチサンダル吉永と申します。

ワードプレスでは費用をかけてブログを維持してきました

ワードプレスを始めた理由はざっくり言えば無料ブログを渡り歩いてたくさんの記事が消えていきました。当時はエクスポートがなかったので。なので収益化挑戦と「自分の一生の場所(独自ドメイン)が欲しかったから」でした。

それをこの度、はてなブログの無料版へ引っ越して(戻って)きました

なぜ無料ブログの中ではてなブログなのか、というのは捨て置いて、なぜワードプレスをやめたのか。

その理由は、色々ありますが、一番大きいのは

「私が急死したらその時このブログはどうなるのか?」を考えたことでした

わたしには、若くして亡くなった近しい友人が数人います。

高校生の時に自殺で一人、20歳あたりで一人が大腸がん、25歳あたりで同級生が心不全で朝冷たくなっていた、そして先日一番仲が良かった子が病死。(あれちょっとまって自分が疫病神??)

関連記事≫人がやたらと死ぬ物語は現実にあるのに、私はなぜ生きているのだろう - 膿と罪悪感

ワードプレスやはてなブログで独自ドメインを使ったままでは、維持費がかかります

その費用は私が生きている限り有効なんじゃないかとふと気が付きました。

もし、死んだ後の解約を家族に頼んでおくとしても、

かなり手間だともいますし、

このブログは私の人生の闇が詰まってますから夫ならまだしも、もし、子供がその立場になったとしたら?

というか夫もいやですけども、夫はブログの存在をしってます。読んではいないと信じてますが。まぁそれはそれとして。

もしも、子供に頼まないといけなくなった場合、このブログを読んでどう思うか。自分は望まれて生まれてきて、愛されていたのか、疑問に思う内容が多いなと感じました。

それに、読まれたくない。

なので、死んでもそのまま放置できる選択肢としては、無料ブログへ引っ越す。それが一番安心だなと思ったのです。

その他にも、「義務感からの解放」をテーマにブログを書いているのに、赤字にならないようにブログ更新を”しなければならない”という義務感に縛られているのは自分に向いてないと思ったのも一歩踏み出すきっかけとなりました。

 

ワードプレスから無料ブログ引っ越す際のデメリットは人によってはかなり大きいです

まず、いままで何十年と積み上げてきたGoogle検索等の信頼を手放すことになり、アクセス数は結論からいって減ります。収益を得られなくなるかもしれない。

とくにはてなブログははてな側へ広告収入が入るので、無料ブログの中でも収益だけを考えれば逆行してます。

私のブログは「すっぴんぶろぐ」という名前で10年以上運営してきましたが、

「すっぴんぶろぐ」で検索してきてくれる方もおりました

そういう方には、引っ越した知らせが送れませんので、名前で憶えてくれていてふとしたきかっけで再度訪れてくれる方がもう来られなくなる可能性もあります

ブックマークしてくれていた方も同じです。ブックマークしてくれていたけれど名前を覚えてない場合は、上記の方よりも来られなくなる可能性が高いです

私のブログは有名なブログではありませんが、ブックマークまでしてくれていた方やわざわざブログ名で検索してくださった方がたとえ数人でも、それはとてもさみしいなという思いがあって、ずるずると独自ドメインのまま運営を続けていました。

ですが、この度、こういう判断に踏み切りました。

無料ブログへ戻ってきた理由を振り返ると

  • 死んだあと放置できるから
  • 更新の義務化からの解放

という感じですね

 

現在カテゴリーが、ワードプレスのタグもそのまま来てしまってかなり見にくいけど、しばらくこのままになりそう…

ということで、またお世話になります、はてなブログさんっ

正論と世間体に押しつぶされそうな、お母さん4年生のトトロに救われた独り言

画像:スタジオジブリ

 

公共の場で子供が騒いだとき、『静かにさせなきゃ』とか『親のしつけがなってないと思われたくない』と怖くなることはありませんか?
 私は今、そんな『正論』の重圧に押しつぶされそうになっています。 でも、振り返ってみれば、私自身もかつては礼儀を叩き込まれ、その『ダメ出し』に怯えて固まってしまう子供でした。だからといって親が間違えていたとも思えない。それが悩むところです。
まぁそんなこんなで、私が私らしく、そして子供が子供らしく生きるためのヒントを、トトロの世界から教えてもらったような気がした時のお話をさせてください

 

人づきあいが苦手で、

親の前で近所や亜親戚の人と話せない

ビーチサンダル吉永です

そんな私、礼儀がなっていなくて、人としっかり挨拶ができないことや

人前で電話ができないこと、自分より目上の人とうまくコミュニケーションが取れないことに悩んでいました

親は私に一生懸命礼儀を教えてくれました

外に出て私がはずかしい思いをせずに済むように。

だけど、私は、「ちゃんとできなかったらどうしよう」と固まってしまって

いつもちゃんとできませんでした

いまだに、親の前ではまともに人前で話せません

親と外食に行っても私は注文ができません

そんな私。

しかし、子供を産んでからあのとなりのトトロを見た時

思いました

子供に礼儀は教えなくても、自然とできるようになるんじゃないのか?

子供のころからちゃんとできなかった自分を恥じることはないんじゃないのか?

自分の子供に礼儀を教えないといけないのが自分が嫌だった気持ちが出てきて怖いけど、どうしたらいのか→何もしなくていいんじゃないのか?

と思ったのです

それは、

たとえば、カンタ

画像1

カンタの家は昔ながらの家で、お母さんがカンタの頭をたたいたり

おばあちゃんも「カンタァァァ」って怒ります

だから、メイやサツキの家よりは、「厳しい家(昔の普通)」な家だと思います

そんな家で育っているカンタ

冒頭でサツキのお父さんに

「どなたかおうちの方はいらっしゃいませんか?」

みたいに道端で聞かれます

その時カンタは

「ん」って指さすだけ

私はこれを大人になってみた時

かなり衝撃的でした

目上の人に向かって「ん」とは!?

私なら、これは後で遠くから見ていた母に

「あんたあの時なんていったの?ちゃんと挨拶できた?」

と聞かれます

できてなかった時にできてなかったというのも、「ちゃんとしないとだめでしょう」といわれそうで怖いし

できたと嘘をついても嘘ついたと怒られるので答えられませんでした

でも、カンタは

あのカンタが!

あれでいいんですよ

子供なんて

でしょ?

って許された感じがしました

そして、もう一つ

サツキとメイが、お母さんの病室に飛び込んできます

画像2

その時、メイは病院なのに騒がしく入ってきて

同室の人にあいさつもしないでお母さんに駆け寄ります

それを、お母さんは怒ることもなく、何にも言わずに飛びついてきたメイを抱きしめるんです

ここを大人になってから見た時、私は泣きました

メイは確か4歳くらいです

4歳ですよ

やっと会えたお母さんにわき目も降らず飛びつくなんてあたりまえじゃないですか?

そういうお母さんの(お父さん)の元そだったサツキは

病室に入ると一礼して「こんにちは」ってちゃんと挨拶します

サツキの育った環境や、子供にご飯を作らせている描写って今の時代うるさい人いるらしいけど

仕方ない環境ですよね

この二つから思うに

人って環境で変わるし

教えられたからできるようになるわけじゃないんじゃないかなって

サツキがあんなにしっかりしちゃったのは

しかりしろ!と言われたんじゃなくて

しっかりしないといけない環境だったから自然とそうなったし(これがかわいそうとかは今回はおいておく)

メイはいつか、サツキの背中を見てマネするでしょう

ちょっと話がずれたけど

騒がしいメイに対して

「病院なんだから静かにしなさい」

とか

「あいさつしないとだめでしょ」

とか

誰も言わない

サツキさえ言わないんですよ

アニメだから、ただのカットかもしれないけど

あと、アリエッティでも同じことを感じた

でも、私はトトロをみて

救われた気がしたんです

(ついでに、私はサツキがおばあちゃんに泣きつくところが号泣です。サツキにも甘えられる人ができて死ぬほどうれしかった)

そんなことを思うのは、

私が小さいときは

よく親に礼儀について叩き込まれました

人の家に入った時

靴を脱いでそろえて

三つ指ついて頭を下げる

靴のまま入るような洋間の場合は

立ったままでよい

いろいろありますがまぁこんな感じでいろいろと教えてもらいました

だけど、私は、それが苦痛で仕方ありませんでした

小さいときはわからなかったんだけど、

それが苦痛だった理由は

ちゃんとできなかった時に

あとでダメ出しを受けることでした

「あの場合はこうするのよ」

「あそこであんなことを言ってはダメ」

今思えば、そのダメ出しが怖くて

うまくできるか不安で

だから本番?にかがちがちに固まってしまったんだと思います

同じく電話がかかってきたとき

あとで言葉遣いに注意を受けたり

なんていうか、人とのやり取りを常に監視されていた気分になってしまっていたんだと思います

だから、私は子供にガミガミ言わずに背中を見せて育てたいと思ていました

でも、今お母さん4年生になって悔しいけど実感しているのは

親の元、親と同じ価値観で育っている私は

知らず知らずのうちに

そういう常識や親と同じ価値観で子供にガミガミ言ってしまうことが特に最近増えてきています

これは何でだろうって考えた時に

多分

「病院では静かに」というのは「常識だし」「正論」だし、

私自身も「そうやって育ってきた」

だから、違うことをするときに

どこまでならゆるされるのか

っていう基準がわからなくなって

不安になってしまうんだと思います

本当に、今注意しなくていいのか?

公共の場では静かにするのは当然だし

注意するのが親のつとめだろう

ってそう思うし

そういう声の方が多い

そういう常識や正論に押しつぶされて怖くなる

正解に行きたいのか?

私と同じ思いをさせたくないだけのか?

今は目をつむって大人になった時

この子が楽に生きられる子になってほしい

それはかわらないのに

今の自分が「子育てをちゃんとしていない」って思われているんじゃないかって怖くなる

結局母と同じなのかもしれない

「家事ができないなら遊ぶ権利はない」父の正論に従い続け、友達も自由も捨てた10年間の記録

正論が正解じゃない。

この前どこかでそんな主張を見かけた

正論が正解じゃない?なんて、意味不明だと思った
でも、これを言われて私はすごく救われた気がした

うちの父は、正論で説き伏せる

そして私はずっと、父が正しいから
自分や母が「だめ」なんだと思っていた

家の片付けもまともにできないで
つまり家事もできないで
友達と遊ぶ権利はないと言われれば

そうかもしれないと

腹を立てながらも言い返せなかった


私が生きていけるのは
父がお金を稼いでいるからであって


父の意見には従わないといけないと
言われれば、確かにそうだと自分のやりたいことは押し殺すしかなかった


毎週土日は、父が旅行に連れて行ってくれた
本当に文字通り毎週で
近所では有名なくらいだった

親がお金を出して子供を育てているんだから
旅行にはついて行くもの

それだけ言えば裕福で幸せな子供時代だ

だけど、私は、友達と遊びたかった


そして、やることをやっていないできない自分と母は、自分の好きなことはしてはいけないと思っていた

母は結婚してから堂々と友達とは会えなくなったし

同窓会も結局ドタキャン
仲良しグループの旅行もドタキャン


しまいには、誘われたら断るようになっていた



私はいつしか
結婚したら自分の自由は無くなるものだと思うようになった


父の意見は正論だ
いつも正論だった

上手い例は出てこないけど

正論だった

お惣菜は手抜きだし
お惣菜のパックごと出すのは
大黒柱に失礼だし

洗濯物が家中にかかりっぱなしなのも、確かにだらしない

洗い物が年中山盛りなのも不衛生だ


だけど、それは誰のことも救わない正論だし

優しさもないし


思いやりもない


ただ、母と私を追い詰めるだけだし


できない人をけなすのは
できない人を救わない

正論だからと差別していいわけじゃないし
正論だからと人をバカにしていいわけじゃない


今日はここまで。

(2021年の記事 noteから引っ越し)

2026年追記

ちょっとタイトル負け感があったり、親になった今、父が家族を養い、毎週旅行に連れて行ってくれたことの凄さも分かります。でも、当時の私が感じていた絶望もまた、紛れもない事実でした。この記事は、かつての私と同じように『正論』に窒息しそうな誰かのために、当時のまま残しておこうと思います。