膿と罪悪感

穴掘って叫びたいこと

万引きをした自分の子供を信じられますか?

その1はこちら

 

unasu.hatenablog.com

 

 

私が万引きをやめた日

それは小学生の頃だったと思う

 

なんだ子供の時の話か

 

とつまらなく感じるかもしれないが聞いてほしい

 

 

私が万引きをやめた理由は

親が私を信じたからだと思う

 

うまく言葉にできないが

あそこで疑われ怒られていたら

私はどうしただろうか

 

 

あの日の風景を未だに覚えている

もう見ることのない、全てが大きくて広い世界だ

 

お金を払ったのかと聞かれている時

私はまだ扉のドアノブ程度の身長だった

私の右肩の上には家の赤い郵便ポスト

母の顔は見ることができずに

視線をずらし

しゃがみ込んだ母の肩と頬のほんの5cm程度の隙間から隣の家の駐車場をぼんやりと眺めていた

 

まだ背の低い私には

隣の家の駐車場がその時の世界の全てだった

 

 

 

そして、大人になって思う

 

私が親と同じ立場に立ったら

同じように無条件で子供の言い分を信じることはできるだろうか?

 

あの日、母はなぜ私を信じたのだろうか?

それよりも

あの日、母はなぜ私を信じられたのだろうか?

 

 

 

万引きは大きな出来事だけど

例えば、誰かと喧嘩した

誰かを叩いた

 

そういうことはこれから沢山起こるはず

 

 

私はあの万引きの経験から

子供の主張はひとまず信じようと心がけてきた

 

 

 

だけど、たった小さな公園での出来事でさえ

「あれ?うちの子何かした?」と

声に出して聞いてしまうことが多い

 

 

例えば公園で

 

少し目を離してる間に

遊んでいた子が泣いている

近くにはその子のお母さんもいて

何やら話している

 

 

こんな事、日常茶飯事で取るに足らない出来事だけれども

 

それでも、うちの子何かした?と思う

それは当然の社会だけれど

だけど私は頭ごなしに子供を疑いたくはない

 

なのに、これである

 

 

 

到底、万引きをした子供を無条件で信用(信じたふり)なんて、私にはできないだろうなと思う

 

 

あの日、きっと母は、あの後お店の人にお金を払ったに違いない

問題はそこではないのだ

 

 

 

私はあそこでやめていたけれど

やめない時はどうしたのだろうか

 

 

 

やはりそのうち問い詰める必要があったのかもしれない

だけどあの頃の私に

叱ること、は果たして効果があったのだろうか

 

 

そんなことをずっと考えている