膿と罪悪感

穴掘って叫びたいこと

自分の子供がもう可愛くないけどそれは正常な感情

子育ては大変だけど、それでも子供は可愛い

子供といることああもううるさい!って時と、可愛い可愛いって時とある

寝ている時は可愛い

 

なんて聞くけれど、

今の私はそうは思はない

 

上の子は常にうざったいし

寝ている時はただただ、今日の悪魔具合を思い出すだけだ

 

ふとした瞬間に、子供らしく可愛く遊んでいて子供らしいな

 

と思う時はあるけれど

 

もうあの、抱っこ紐に収まって私の分身であるかのような天使はいない

 

自分の子供の事が結構どうでも良いのである

 

そして私は思う

これは一時的じゃなくて、もうこれからもこうなのだろうと。

 

 

だけどそれは、私にとって悪いことじゃない

子供を産むなきゃ良かったとか、この子さえいなければとか、そういう感情でもない

 

 

早く離れたいと思うけど、

それも正常な感情だと自覚してる

 

 

というのも、

私は釣った魚に餌はやらないタイプで

昔から好きだの恋だの愛だの人のためだの

なんかそういう感情がよくわからない

 

つまり、

人間嫌いの私にとって

「無感覚」になれる相手というのは、かなり好感度が高いということを表すことを学んだからだ

 

初めて付き合った人には依存しまくりでぐちゃぐちゃなまま10年付き合って30手前で、これまたぐちゃぐちゃに別れた

 

この時私は学んだのだ

 

私にとって「一番大切」な存在は「私のストレスにしかならない」という事実に

 

 

だから、今の夫も、感情より条件で結婚した

もちろん、「無感覚」であることは確認済みで。

この無感覚って、ポジティブに言い換えると「当たり前の存在」ということ

 

何も悪いことじゃない

 

 

大切すぎても辛いだけだし

自分にとって目障りで不快すぎてもいけない

 

 

子供は今3歳で、今のところ、まとわりついてくるし、私のことが好きなのである。

私に愛されたいのである

 

だから、ストレスにはなるけど

それは、無感覚の上に成り立つ感情の波

そんな程度のもの

 

あって当たり前で何も感じない空気、あるじゃないですか?

それと一緒で、

いつもは無感覚なんだけど、たまに山に行くととても美味しい

猫のトイレの近くはくさい

そういう違いなだけ

 

子供のことが大好き!

かわいい!

という感情がなくなったのは、私にとって重荷が一つ降りた

 

この子はただここにいて

私とは馬が合わないけど、生きている

 

そこにいるクラスメイトみたいなものだ

 

困っていれば助けるし

困っていないなら放っておく

 

私にとって

うまい具合に、別の人格として理解してきただけだろうと思う(私が)