膿と罪悪感

穴掘って叫びたいこと

人生で一度もラーメン裏側の説明を読んだことがない人との違い

それは、エースコックのわかめ入りインスタントラーメンの後ろの説明書を読んでいるときに気が付いた

この、説明書を読む人は往々にして生きづらさを感じるさているのではないかと。

 

読まない人はまぁ、わからん。

 

ということで、お題「捨てられないもの」

捨てられないもの、それは、「答えを求める事」

気が付いたらミニマリストと呼ばれるものになっていたけど、「答えを求める事」は一度はやめてみたけれど、やっぱり無理だった。

 

 

いつもラーメンを買う時は、行った先のスーパーで一番安いのを買うのだけれど、まぁそれでも人生でいろいろな種類のラーメンの説明書を読んできた

 

そこに書いてあるのはだいたいは、「水450ml」とか「水50ml」である

 

しかし、エースクッコのわかめ入りラーメンは、こうである

 

「水500ml(コップ約3倍弱)」

 

 

これを見たとき最初

 

「わ~これ親切だな~」

「確かに計量カップがない人もたくさんいるよな」

「というか、たぶんインスタントラーメン食べる人って計量カップ持っていない一人暮らしの学生とか料理をしない人とか多いだろうし」

 

それにそれに特に「約」っていうのがいいね!

 

こんなのさ、適当でいいんだよ適当で!

人生適当でいいんだよ!

 

 

ってここまで思ってハッとした

 

 

こういう説明書を読む人というのは

「約」とか「適量」とか「だいたい」とか

 

そういうことができない人が読むんだよな

 

 

そう私やあなたのような人ですよ

 

そういう方に向けて書いてあるのが説明書なんですよ

 

 

 

 

ここまで書くと、

「いやいや、説明書普通読むでしょう(笑)」

「分量通りつくらないとおいしくないし」

「美味しく作るために書いてあるんでしょ」

「せっかく企業が社運をかけて作ってる商品はちゃんと想定通りに食べてあげないと失礼でしょ」

 

って思いませんか?

 

 

 

 

でもですね、

 

まずうちの両親二人

私が唯一付き合いが続いている友達二人

よく遊びに来る母の友達

 

私の人生でかかわりのある人たちの99%が

 

インスタントラーメンやカップ麺の後ろに説明が書いてあることすら知らないんですよ

 

ちなみに残り1%は夫です。夫一人です

 

 

 

 

彼らは常に「適当」に作ってます

 

 

最近のカップ麺なんか後入れとか、先入れとか、蓋の上で温めてとか

そういうのも一切やらないけど、適当に食べてます

 

 

別に老人ってわけじゃないですよ

スマホもバリバリ使うし、Wi-Fiやインターネットの接続も自分絵やっちゃうし、いまだにバリバリ仕事もしてます

 

 

 

私これに気が付いたのは

夫と結婚してからです

 

 

夫がある日こういったんです

 

「え?説明書に書いてありますよ?(ラーメン以外でも)」

 

って

 

 

 

え?ラーメン作るのに説明いる?

 

 

 

って逆に驚いたのがうちの家族(私含め)

 

 

そしてなんと、私今まで適当ででもできたいたのに説明を読むようになってしまったという、それが「捨てられない習性」とでもいうのでしょうかね

 

 

でも、実際にラーメンの後ろに説明が書いてあるのは「読む人がいるから」なんですよね

 

 

で、それを読む人はだいたいとか、アバウトとかできなくて「はっきりした答えが知りたい」「最悪目安でいいから知りたい」人なんですよね

 

 

 

何が言いたいかって特にないけど

これが届ける人に届けるってやつですね(無理やりまとめた)