膿と罪悪感

穴掘って叫びたいこと

断食自殺やり方記録「死にたい老人」を読んだ感想

地球温暖化は人類にとっては危機だろうが、地球にとっては、なんでもないことなのだ。
人類がセオリーを無視して、自分たちだけ特別だとしてきたツケが、ここに来てようやく支払えなくなろうとしている。
人間の寿命も、そういう角度から見直さなければいけないだけのとこではないか。

死にたい老人P126


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シンプルに生き辛い現代「死にたい老人」木谷恭介の断食自殺記録の感想










自然の摂理や身辺整理、生き方死に方について興味があったりしません?
私は一度死に際を通り過ぎた感じがあって、それじゃいつ死ぬのかどう死ぬのか気になっています。


この作家さんは、80歳になり孤独死に怯えた後、生に執着することをやめた途端、楽になったというお話。
長寿国、命について見過ごせない問題だと私も思う内容が沢山ありました。



シンプルに生きたい という事とつながる気がしておすすめです。


ん?まぁそんな真面目な感想じゃなくて、
男おひとり様」のこれからの人生に絶望した「命を懸けたアホ」を楽しむ本とも言えます。



【目次】

あらすじ

「もう十分生きた、これ以上生きていても息子夫婦に迷惑もかけるし、年金や老人問題でのたうちまわっている国のあり方に疑問をもった」事から始まる、
"理性的自殺、断食安楽死"を計画し実行。

実行中に起きた、3.11。
そこでまた浮き上がる社会への疑問。
思い出される戦争の話。
戦前、戦中、戦後。現代の子供の話と社会の不自然さ。

死に執着した小説家が、52日間の断食を実行するも自死に失敗した、異常な記録

死にたい老人 裏表紙より




感想

とても面白かったです。テレビも新聞も読まない私(常識がない)ですが、同感な内容。
共感できる事がたくさんあり、ブクログの引用メモが大変な量になりました。笑




本の初めに書いてありますが、断食安楽死の経過話は第一章と第四章がメインでその他の章は人生での経験や社会不満などなぜ自死を考えたかの理由のようなものでした。ここを読むと意気込みが感じられるという感じ。



読む前は、社会のことは興味ないしなぁと思っていましたが順番に読んでいくとコミカルな感じだし、自分も感じていたことだったので引き込まれてしまってむしろそっちがおもしろくなってきました。

全体的には文章の書き方もあり、結構ギャグ的要素満載で他人の私からみれば読んでいて重たくもなく楽しめました。
ヒロポンの話も面白かったな。




オイオイもういいよ。と思ったりもしましたが最後にはまたちゃんとまとまった感じで。





孤独死が増える一方、理性的に自殺はできないこととか、3.11でたくさんの人がなくなっていく中死の無駄遣いをしている老人とか、皮肉っぽい現実も面白い。


そして改めて思ったのは、楽な「安楽死」ってやっぱりないんだなということ。


それから読み物として面白かったし、意気込みも感じられたので好きな作品ですが、身近にいたら「なにめんどくさいことしてんだろ」と思ったかも。そう思わせるのも社会のルールがあるからですが。





一人で勝手に死に向かう実験すら自由にできない社会。





『保護責任者遺棄致死』

最初に印象に残ったのはこの法律に関してでした。一瞬の自殺と違って、途中で誰かを巻き込んでしまうかもしれないこれ。

本文の説明では確かこんな感じ。

「海で入水自殺してる人がいるところにたまたま通りかかったら、止めないと罪になるとこもある」というやつらしいです。


正直



「は?」


という気分です。知ってはいましたが。やはり、は?という気分。





不自然な生かされ方

"自然に逆らって"まで".強制"させられている世界のルールが、私は苦手です。
正解とか常識と、自分ができているかとかそういう細かいことを言われると反論は出来ないが、素直に気持ちを書くとすれば、嫌いです。



命の話を例に出すとするならば
自殺未遂の常習者を費用支払いの見込みもなく助けたりとかそういう矛盾した常識。



それの出来事に関わった通報者や医者が悪いとかそういう問題でもなく。



本書の中でも似たような事を書かれていました。

「老人にボケたらしねとは言えないが、
88歳の老婆が12時間の大手術。日向ぼっこをするための大手術だったのだろうか。」

というような内容。





文句を言いつつも現代人の私

それから、私は賞味期限はいらないとか、お店で食べ物を廃棄するくらいなら割引やタダで配ればいい、誓約書付きでもいい。と思っています。


しかし、それと同時に実際は、野菜のヘタは捨てるし、使いきれなくて腐らせることもあります。






何を言おうが、何を考えようが、私は恵まれたこの現代に産まれ、この現代にぴったりと馴染んでいる現代人なことに変わりはないと改めて思い知らされます。


やろううと思えば、曲がりなりにも社会から抗うことはできる。だけど、そこまでしたいとは思わないんでしょうね。今の生活を維持した上で、ネイチャー思考を掲げたいだけ。




まぁ、グダクダいってもそんな自分で生きていこうと思います。





おまけ フィリピンにいたのよ3.11の時

東日本大震災の時私はフィリピン留学中でした。ちょっと疎外感を感じていました。
その時、日本人留学生はちょっと特別でした。その時に、日本人は強いね、おとなしいね。というようなことをたくさん言われました。
それはそのあとのバックパック旅行でもそうで、どこに行ってもその話題で話しかけられました。

あれだけのことが起きてるのに冷静な日本人と見えたみたいで、暴動や火事場泥棒がまったく目立ってない、どうしてなのか?と聞かれたり。
そのことについても作者が触れていました。否定的な意見で、そこも面白かった。
私も大人しさは良い所かなと思っていたけど、まぁいわれてみればそういう主張のないところがこういう社会を作ってるともいえるのか~と。まぁやっぱりどうでもいいことだけど。笑 



早々これを読んで、無職になったら体質改善のプチ断食してみたいなと思ってたんだった。
準備しようかな。


おわり



■思い出したので追記
こちらは本当に餓死した少年の話です。原題はIn to the wild.いつかレビュー記事書きます。

アラスカの荒野にひとり足を踏み入れた青年。そして四か月後、うち捨てられたバスの中で死体となって発見される。その死は、やがてアメリカ中を震撼させることとなった。恵まれた境遇で育った彼は、なぜ家を捨て、荒野の世界に魅入られていったのか。登山家でもある著者は、綿密な取材をもとに青年の心の軌跡を辿っていく。全米ベストセラー・ノンフィクション。

Amazon内容(「BOOK」データベースより)