【本】The Catcher in the Rye 村上春樹訳を読んだ感想

村上春樹が影響を受けたという「ライ麦畑でつかまえて」の村上春樹訳を読みました。

翻訳ものは翻訳者によってかなり変わってしまうということで、先に元々有名な「ライ麦」の方を読もうと思っていたのですが、50ページくらいで挫折。

ライ麦は知ってはいたけど読まずに来て、読むきっかけになったのは"村上春樹が影響を受けた"と言うところだし、村上訳からでもいいや!と思い、「The Catcher in the Rye」を読むことに。


三十路と青春

途中はただただ、辛かった
なんとか読み終わりたくて早く終わらないかなーと思いながら読みました。
それでも読まされている感じがあって、読むのがやめられない。なんとも不思議な感じに。

読後の感想としては、三十路になってから読んでよかったな。という事。
青春時代の排他的思想というか、何者でもない自分を何者かであるかのように感じている頃の話なんだけど、そういう時代に読んでいたらきっと特別な小説になっていたのかもしれない。
だけど、これが特別な小説になって欲しくはなかったと感じます。



ノルウェイの森とキャッチャーインザレイ

ノルウェイの森が私にとって青春本なんだけど、今でも特別な小説として受け入れらます

今では自分の中のランキングからは下がってきているけど、空間の表現が最高で今でも胸が苦しくなります笑

映画では官能小説みたいな印象になってしまうけど、私がはまったのはストーリー(はあってこそなんだけど)というよりは文章自体。

どちらも読んだのが逆だったらと思うと、タラレバの話になってしまうから本当のところはわからないけれども。


終盤から面白く

ただ、キャッチャー(村上訳)の最後の方、妹が出てきてからはとてもよかった。だから全体的には良い評価になりました。


村上春樹の世界と本作の表現

あと、翻訳者の世界観、ここでいえば、村上春樹ワールドがしっかり現れてしまっている。という事だったけれどそれとは別に、「なるほど影響を受けたっていうのはこういう事かな?」と思った部分が幾つかあります。

それは、
表現の唐突さ、曖昧さ、回りくどさ
想像しにくいのに読むと納得できてしまう比喩
当たり前なことの繰り返しの形容。
この辺りです。



言葉の選び方というのは翻訳が村上春樹なので当たり前だろ、と、思われるかもしれないけど、そこではなくて、文単位の表現の話です。

例えば、P257

僕がそこに行ったときには二回とも-二回ともだぜ-雨が降り出したんだ。

二回ともだぜ 、というような強調の仕方や

その次に続く

アリーの嘘くさい墓石にも雨が降っていたし、彼のおなかの上生えてる草にも雨が降っていた。そこいらじゅう全部に雨が降っていた

雨が降っているというだけでこの形容。
村上春樹が好きな人と嫌いな人が分かれる部分な気もするこの表現。この辺りも影響を受けたのかなと思う反面、

私自身、村上春樹に出会う前から回りくどく繰り返す形容や分かりにくいけど、言われるとわかる比喩が好きで、自分でも使っていました。

だからまぁ、影響を受けたというより、好みにはまったというほうが、個性を潰さない言い方かなぁと思ったり 笑



ライ麦畑でつかまえてを読むか読まないか

読んでいるときは、村上春樹訳だけでいいかなとおもったけど、やはりライ麦の方も読んでみようと思います。

途中までだけど両方読んだ感じ、覚悟していたよりはどちらも同じ印象を受けてます。


あと、さっきも言ったように三十路になってから読んだ事で、客観的になれて読み比べという楽しみができてよかったです。

入り込みやすい私は、一度入ってしまうと他のバージョンや表現を受け入れきれなくなってしまうので笑






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