膿と罪悪感

穴掘って叫びたいこと

物乞い

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そう言えば、ノーンカーイではいろいろな物乞いに会った。その中でも印象に残っている事があるんだけど、一人の盲目の男性が毎日、お金などを入れるカゴの付いた杖をついてキーボードを肩から下げて演奏しながら商店街型の市場を行ったり来たりしていた。その音楽はとてもよい音楽だけど、お金を入れる人を見たのは一度きり。でもコンスタントにいれて行く人は現れるんだと思う。それでも私は一度もいれなかったんだけど。
ノーンカーイからウボンに行くバスターミナルでバスを待っていると、ただただよってきてカゴを差し出す物乞いに出会った。このタイプは一番多くて、私は戸惑いつつも無視を決め込む。私には物乞いに対する知識がかけているし。私を含め数人の無視をする外国人を通過後、その後のタイ人と思われる人たちがぞくぞくとコインを入れていく。それを見て結構ショックを受けた。入れるのが当たり前なんだとかそういうショックではなく、詳しい事情は知らないけど、ぱっと見「ただカゴを差し出すだけでお金がもらえる」という事実に驚いた。そういう所は何度も見てきたけど、それだったら盲目のピアニストもただただカゴを差し出しても恵んでもらえるのかもしれないのに、見えない目であの狭い道を自分の足で歩くだけじゃなくて、いい音楽まで聞かせてくれる。それでもぞくぞくとお金やものが手に入るわけではない。もちろんこの差はいろんな背景があっての事かもしれないけど、何もせずにものを恵んでもらおうという事が私はあまり良くは思っていないといことがわかった。盲目のピアニストのようになにか出来る事がなくても、今思えばもう1人、ギターも弾けずに上手く声も出せない人が(見た目はね)ギターをガチャガチャやって「うーうー」唸ってた耳障りな演奏を聞く方がまだ気持ちがいい。とその時思ってしまった。
そしてそう思うだけの自分も恥ずかしいけど、まーいいやと思ってしまう適当さが笑える。
でもバス停でこれなら初の寄付は盲目のピアニストにすればよかったと思いながら、いろんなことが怖くて物乞いに対しては無視を決め込み事に代わりはないと思うのでありますな。
それと、そのカゴを差し出すだけの人が影に隠れて集まったお金をカバンにいれ、まだないんですとばかりにカゴを見せるのも気になった。